コラム
この度、ダブルが800ccで再々登場となりました。このダブルというオートバイは、私にとってとても思い入れの強いバイクです。今回の登場にあたり、私とダブルのお話しをさせていただきたいと思います。三部構成でお話しいたします。
ダブルとの出会い
私のダブルとの初めての出会いは昭和四十二年(1967年)の事でした。
父もバイクが好きで、いろいろなバイクに乗っており、ブリジストンやホンダドリームなどのバイクを所有していました。当時のバイクは90ccから125ccが主流で、日本製の大型バイクはあまりなく、外国勢がほとんどでした。
そんな中、父の友人が、目黒の五百というバイクに乗っていました。このメグロの500がダブルの感想となるバイクでした。
当時黒くて大きいバイクで凄く迫力があるという印象で、ただただ格好良いなあと思ってみていました。
キックでエンジンをかけて、始動した時の音、 それはまるで巨大戦車が動き出すような迫力で、子供の私には感動的でした。
父も憧れていた様子でしたが、経済的に買えなかったようです。私はこのメグロ500が家に来た時は、長時間ずっと見入っていた少年でした。今思えば、このメグロ500が、私とオートバイを結びつけ、今の私があるのかもしれません。
当時のオートバイは外車がやはり、憧れのバイクでした。ハーレーダビッドソン、陸王、トライアンフ、日本製のバイクはまだそんなにも大型はない時に、500ccは最大クラスで、日本製としては最高のバイクだったのでしょう。
その時中小メーカーとして、ホンダや、ヤマハ、スズキが創業期であり、そして川崎航空機が、大手として参入した時代でした。
二輪でスタートした、弱小メーカーであるホンダが、いまや全世界40%以上のシェアを持ち、大メーカーに育つことは、当時は想像もできませんでした。東京の目黒製作所のK500は白バイにも採用され、少年のハートに強烈なインパクトを与えたのでした。
憧れのバイク、メグロ500/ダブル650との出会い
高校一年生の時に、同級生がメグロ500を、どこからか手に入れて学校に乗ってきたのです。
程度もほどほど良く、あのほれぼれする排気音が私の心にバイク熱を蘇らせてくれました。そして私は自動二輪の免許を取り、 友人に頼んで乗せてもらいました。
その場面は、今でも脳裏に焼き付いています。 とても危険な目にあったからです。
忘れもしません。エンジンをかけ走り出し、気持ちよく走っていてカーブにさしかかった時、ブレーキをかけたのに、ブレーキが効かなかったのです!
あわててフロントブレーキを目一杯かけ、何とかスピードが落ち止まってくれたのですが、カーブにそのまま突っ込む寸前でした。
この原因は簡単でした。リヤブレーキが効かなかったのです。正確には、リアブレーキを掛けられなかったのです。
なんとメグロの500は、ブレーキペダルが左になっており、私は右のチェンジペダルを踏んでいたので、止まるはずがないのでした。これは、私のバイク人生の、最初のアクシデントでした。
その後のダブル650との出会いも、面白い出会いになりました。
友人のメグロ500のバイクパーツを探すため神戸のバイクのスクラップ屋に行った時に、なんと、カワサキのダブル1(ダブル650)のバイクがたくさんあったのでした。
初期のダブル1人はメグロの500に使えるパーツがたくさんあったのです。
ちなみに何故この店にダブルがたくさんあったのかというと、なんとこのスクラップ屋は、川崎重工のテスト車両のスクラップを処理していた会社だったのです。
高校生の私たちは、人気のカワサキバイクのパーツが安く手に入るのでここで購入していたのです。 そして650のエンジンを手に入れ、そのエンジンをメグロ500に乗せて、"メグロ650"の誕生です。友人みんなと、メグロ650に乗る機会に出会えたのです。普通ではありえない話ですが、これも何かの縁でしょう。

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